幸福の水

町の中を歩いているとき、素焼きの壷が並べ置かれている光景によく出会った。
それらの壷には、澄んだ水が並々と満たされている。
寺の入り口や街角などに棚が作ってあり、その上にこんな素焼きの壷が並んでいるのだ。不思議に思って聞いてみると、旅人や通行人のために用意されている水だと言う。ほとんどが敬虔な仏教徒であるミャンマーの人々は、功徳を積むためのいくつかの善行が生活に根付いている。
作物を植えること、修行者に施しを与えること、大きな木を植え育て、人々の憩いの場となる木陰を作ること…… そして、喉の渇きを癒すための水を用意することも、大切な功徳のひとつになる。この人生でより多くの徳を積んだ人は、死後、老いの苦しみや病気、憎しみのない、美しい天の国へと行けるのだ。暑さにあえぎつつ、長い距離を延々と歩いてきた旅人にとって、喉の渇きを潤すことのできる一杯の水は、何にも代えがたい喜びと感謝をもたらすだろう。
素焼きの水壷の表面にじわじわとにじみ出てくる水分は、ゆっくりと蒸発し、壷の中の水をいつもすっきりと冷やしている。一杯の冷たい水は、それを得た者だけにでなく、それを施す者にもしみじみとした幸福感を与える。 村の道端で、素焼きの水壷を頭に抱え、運んでいく少女たちに出会った。すれ違いざま、目が合うと、恥ずかしそうに肩をすくめながらもにっこりと微笑んで、軽く会釈をした。
彼女たちは、どんなにたくさんの幸せを、壷の中にたっぷりと積めて、運んでいることだろう。