全ての子どもに明るい未来を
メキシコの子どもたちの多くは、太陽の光を一身に浴びてすくすくと育ってきたような、健康的な明るさに満ちている。
無邪気でくったくがなく、本当に子どもらしい子どもたちというかんじだ。
ある町で、遠足の子どもたちに出会ったときのこと。私は世界遺産に登録されているというその町の中央広場を撮影していた。バスから降りて、そんな私の姿を見かけた子どもたちは、大騒ぎをしながらカメラの前に立ちはだかり、思い思いのポーズを取った。一枚撮るごとに、またはしゃいで違うポーズを撮る。そのおどけぶりがあまりにも面白いものだから、私は思わず吹き出しながらシャッターを切ったものだ。子どもたちは口々に何かを話し掛けてくる。私はスペイン語がわからないから、彼らが何を言っているのか理解できない。そんなこともおかまいなしに、子どもたちはひっきりなしにしゃべり続ける。笑いかけると、向こうはその十倍くらいの笑顔を返してくれる。
貧富の差が激しい国だから、子どもたちも全てがしあわせな保護を受けてぬくぬくと育っているわけではない。街角には靴磨きをする年端もいかない少年たちが溢れているし、小さな妹や弟を連れた少女が毎晩アコーディオンを弾きながら小銭を求める姿にも出会った。
来る日も来る日も、小さな子どもが朝から晩まで働くのは、想像もできないような苦労には違いないが、しかし、彼らがたくましく生き抜く姿は、生命の輝きに満ちている。
毎日同じ場所に立ち、アコーディオンを弾きながら歌う少女は、雨の日も、祭りの日も、必ずそこに立っていた。何の言葉をかわしたわけではないが、いつしか彼女は私が通り過ぎるときにちらりとこちらを見て、にこっと笑うようになった。その笑いは、人のいい親切な笑いでも、明るく楽しい笑いでもなかった。もっとしたたかでたくましい笑いだ。「負けないわよ」私には、彼女の笑顔がそう言っているように見えた。子どもが明るくたくましい国は、その国の未来も明るいような気がして、心底ほっとする。子どもの時代は一生に一度しかない。大人になったら、そのときのことをどんなに懐かしく思い出しても、もう二度と子どもに戻ることはできないのだ。だからこそ、大人になったときにたまらなく懐かしく暖かい気持ちで思い出せるような、しあわせな子ども時代を、世界の全ての子どもたちが持てる世の中であって欲しいと心から願う。