学校って楽しいな!

マダガスカルで、いくつもの小学校や幼稚園を訪ねた。
何クラスもある大きな学校から、たったひとつの部屋で細々とやっている寺子屋まで、大小様々だったが、どの学校を訪ねても子どもたちが快活で明るく、元気に勉強を楽しんでいる様子が印象的だった。
十分な設備もなく、黒板ひとつで授業をしている簡素な学校が多かった。しかし、先生たちは情熱的な語り口で、生徒たちをぐいぐいと引きつけた。黒板に文字を書いて、「さあ、これを読める人!」と呼びかけると、子どもたちが全員手をあげて、自分をこそ指してもらおうと身を乗り出して夢中になって声をあげる。指名された子は、黒板の前に出て、木の棒でひとつひとつを指しながら、出せる限りの大きな声で読み上げていく。間違うと、クラスの他の子たちが、やっぱりとても大きな声で正しい答えを叫ぶ。そんな生き生きとした授業風景を見学させてもらうのは、とても楽しかった。木の骨組みに藁を拭いただけの学校もあったし、教会を借りて授業をする学校もあった。
経済的に困窮するマダガスカル政府は、十分な設備のある学校を国中に建てるだけの余裕はない。それでも、教育を受けさせたいという親と、教えることに喜びを感じる教師の情熱があれば、何もなくても学校をはじめることができるのだということを、アフリカの各地で目の当たりにして、目からウロコが落ちるような思いがしたものだ。ある先生が、どのような経緯から先生になったかを語ってくれた。 
「私の育った村には学校はありませんでした。親も、子どもを大切な労働力と見ていたから、教育など必要ないと思っていた。あるとき、私はケガをして、何時間も歩いた先にある修道会の診療所に行ったのです。そこで治療を受けたあと、診療所に隣接した小学校の授業の様子を窓から見ました。何だかとても面白そうで、私は強い興味を引かれました。それから私は、ケガが直っても、そこに通ってこっそりと窓から中を覗いていました。親にどんなに怒られても、そこに行くことをやめなかった。私のそんな様子に気がついた神父さんが、私の家まで来て、両親を説得してくれたのです。そうして、私は学校に通いはじめることができました。
ABCから一つひとつ学んでいくことが楽しくて、私は勉強に夢中になりました。そして大きくなったら、自分の村に学校を作って、私のような子どもたちに学ぶ楽しさをわけてあげたい、と思うようになったのです」 彼はその思いを遂げて、村ではじめての学校を開いた。満足な資金もない中での学校の運営は簡単ではないが、毎日、多くの子どもたちの笑顔が自分に喜びを与えてくれている、と彼は語った。
休み時間に私たちは大きな風船を膨らませて、一緒に遊んだ。たったひとつの風船に、何十人もの子どもたちが大喜びで向かっていく。いくつもの手で投げ上げられた風船は、真っ青な空に吸い込まれるように高く舞い上がった。